平成30年度第2回定例会を開催しました


今回の定例会は、看護実践における「動き」の支援について立ち止まって考えてみるという企画でした。講師は、神戸市看護大学の基礎看護学准教授の柴田しおり先生で、先生が基礎看護技術教育で重視されているキネステティクに基づく動きの支援について、ワークショップを行いました。

講師の柴田しおり先生

今回は、体験して実感することができる内容だったので、会場は和室になりました。参加者は、柴田先生の指示に沿って、ゴロゴロと寝転んだり、体を動かしたりしながら様々な体験をしました。その体験から、キネステティク感覚(動きの感覚)とは何か、キネステティクの6つの概念や、人の動きや動きの支援についてなどを学び、最後にこれを看護に活かすとはどういうことかについて考えました。
まず、「歩く」という動きを体験しながら、キネステティク感覚がどんなものかを確認しました。キネステティク感覚とは、一般的に良く知られている視覚や触覚といった五感の他に、人間に備わった動きの感覚のことです。私たちが動こうとするときに、あるいは動いているときに作動している、空間の認識・素早くあるいはゆっくりといった時間の調節・力といった動きの3要素が組み合わさった感覚です。視覚の感覚器が「目」であるように、動きの感覚は「筋肉」によって知覚されているのです。筋肉は運動器であるという認識が一般的だと思いますが、感覚器でもあるというのはひとつの発見でしたが、「うん、確かにある!」「ないと動けない」ことを実感しました。
つぎに、参加者がペアになって目を閉じて向かいあい、両手掌を合わせた状態で腕を動かすというワークを行いました。これは、『一緒に動く』という体験です。この体験で、私たちは、どちらが主導して動いているのかがわからないような感覚に気づきました。つまり、「一緒に動く」とき、私たちは「動きの感覚」を使って相手とインターラクションしています。このインターラクションが働いていると、相手に動かされているのか、相手を動かしているのかがわからなくなり、互いにふたりともが自分が動いているかのような、あるいは相手に主導されて動いているかのような感覚になるのです。
このような感覚は、看護師にも患者にも存在します。看護師と患者の「動きの感覚」が、相互同時的にタイミングよく作動されるとき、「一緒に動く」ということができます。つまり、「動きの感覚」=キネステティク感覚は、インターラクションのあり方を方向づけるものであり、コミュニケーションの要素のひとつと言えそうです。そして、この感覚が患者さんへの援助においてうまく使われると、患者さんは自分のもつ感覚や力を最大限に使いながら、かつ自分の動きたいように、まるで自分で動いたかのように動くことができる、つまり、対象のもつ力を最大限に活かした援助につながると言えます。
このことを知って、現在の看護実践現場で行われる移動や体位変換の技術を考えてみると、多くの看護師は患者さんが自分でできない部分を補助しているつもりで、実は患者さんを看護師の思うように動かしているのではないかと気づかされました。多くの看護技術のテキストに示される体位変換の技術は、人体の筋骨格系統の構造、関節の可動範囲という点で理にかなっているという意味で、人の自然な動きに沿った方法だとされてきました。しかし、これはあくまで「人体の構造」に合致しているというだけで、患者さんにも看護師にも「動きの感覚」があることが考慮されていませんでした。患者さんは「人の型をした物体」などではなく、意思をもった生身の人間です。自然な動きとは、関節可動域に沿うことではなく、生身の人間がもつ「動きの感覚」による動きなのです。看護師は、患者さんの「動きの感覚」を感じ取りながら、自分の「動きの感覚」を作動させて、インターラクション=感覚のコミュニケーションをしながら、動きを支援する必要があります。これが、看護において本来必要とされる「動きの支援」であることを学ぶことができました。 
この動きの支援は、単に体位変換や移乗などの援助に限りません。例えば、寝衣交換のときに、看護師は患者の腕の動きに合わせてパジャマの袖を通します。このときに、患者の「動きの感覚」を感じ取りながら、自らの「動きの感覚」を作動させて(インターラクションしながら)実施する場合と、患者の上腕や肩関節の可動域に沿って患者の腕をパジャマに通す場合とでは、どちらが人に対する援助=看護と言えるでしょうか? 前者は、「患者さんに腕を通してもらう」援助ですが、後者は「患者の腕をパジャマの袖に通す」行為だと言い換えられます。後者は、看護師主体の行為であり、仮に精巧に作られたモデル人形の腕であっても成立する行為です。つまり、「患者の腕をパジャマの袖に通す」という行為は、人の腕を物体化した、本来の看護とは少し違う行為のように思われます。このように考えると、キネステティク感覚はすべての援助技術に通底していることであり、キネステティクの概念は看護とそれ以外を分ける決め手になるとも言えそうです。キネステティクは、方法ではなく、考え方であり、患者―看護師関係や援助についての哲学につながる概念であることが理解できました。
キネステティク感覚について学ぶことは、人への援助とは 何かを学ぶこと、看護技術とは何かを学ぶことと同じだと言えます。参加者から、これを学生にどのように教えているのかという質問がありました。神戸市看護大学の基礎看護技術の授業では、キネステティクを講義や演習で学習した後、体位変換や移乗の技術を学習しますが、それ以降のすべての援助技術の演習において、学生達が常にキネステティク感覚を意識して援助できるように指導しているとのことでした。学生にこれを伝えるには、指導する教員が概念と技術をしっかり身に付ける必要がありそうです。
次年度の看護エデュケア研究会では、看護技術のワークショップを行っていく予定です。今回の体位変換のように、1つ1つの技術に通底する考え方やねらいについて改めて考えてみることで、臨床看護実践が向上する看護技術とその教育方法について考えていきたいと思います。