平成30年度セミナーを開催しました


 看護教育課程で非常に重要な臨地実習教育では、学生が看護を学ぶ瞬間は突然に表れることが多く、その瞬間を逃すことなく学ぶ機会にすることが臨地実習指導の難しさでもあります。学生が悩み困る場面こそ、学生が成長する機会であり、それは、看護教員や臨地実習指導者にとっても看護を考える大切な機会であると思います。今年度のセミナーでは、「臨地実習指導を楽しむ ―学習者とともに看護を考える実習とは―」をテーマに、看護基礎教育で益々重要となってくる「臨地実習教育」をどう支援していくか? 参加者の方々と共に考えていくことにしました。
今回、講師にお迎えしたのは、看護教育学研究、特に臨地実習指導に関連した研究を多く発表されている甲南女子大学看護リハビリテーション学部看護学科学科長の前川幸子先生です。講義の冒頭で、前川先生は「本日の内容」として以下の4つの視点を示されました。
①看護学実習とは
②ケアリングという教育実践
③看護実践を「教えるー学ぶ」
④臨地実習指導を楽しむ」ということ
看護学実習が看護基礎教育にとってどれほど重要な学習機会かということを改めて問い直し、臨地実習教育は、「単に場所だけを借りて行われる」のではなく、看護実践能力の育成の場→『ケアの専門家(実践者)になる』という教育の場であること。そして、看護学教育そのものは『ケアリングの実践教育 』。ケアリング=「配慮、気づかい 慈しみ」の中でケアの衝動(湧き上がる思い)による主体的実践であることをお話いただきました。中でも【ケアリングは教養の身体化】という言葉は非常に印象的でした。学生が、患者の存在によって導かれたケアしたいという内なる衝動に突き動かされる経験、その実感から始まる看護実践の源泉は、看護師の実践を見ることにあると説明されました。知識も大事だけれど、学生が感じること、実感すること、それを可能にするためには、学生の気持ちを柔らかくしていくことが大事だと話されました。
看護教育が『ケアリングの実践教育』である以上、看護学実習はその学びの場として大きな意味をもつことが再認識できました。学生に関わる看護師は 、今感じていることをそのまま学生に伝えて欲しい。患者を中心に考えるとは、どう考えているのか、何をどう繋げているのか?それを学生に語ってほしい。それは看護師しかできないということです。【看護の仲間入りが実感できる】看護学実習環境で、学生は断片的な知識ではなく物語的な実践力をつけていき、学ぶ意欲を生み出し、真の『学ぶ力』が身に着くようになると話されました。また、臨地実習教育を教育社会学的見方でいうと、関係の中で学ぶことが重要です。そのためには、【学び合う組織や仲間づくり】の風土の中で、学生を正当に病院で認められた学習する者と捉えることが必要です。つまり学生は、客人的存在ではなく、看護の現場という状況にしだいに参加していく仲間だということです。本研究会が以前から取り組んでいる状況論的教育観の論理が生きているのだと理解できました。さらに、指導者は、学生がいることによって、教えるということを学ぶことができます。スタッフナースから臨床指導看護師へのトランジション(移行)が重要だということです。自分で判断し自分で行為をする『自分が軸』の看護実践から、『学生が看護実践する』、つまり学生が成果を出すように、『他者が軸』への移行が重要だと教えていただきました。そして学生は患者に対面する看護師の姿から看護を具現化できるようになると話されました。このような看護学生への教育的関わりは、学生の患者へのケアリングにつながっていくということです。教育的関係に見るケアリングは、学生―患者―教員―看護師(指導者)の4者関係が学びの軸となり広がり、【ケアリングの連鎖】を生み出すということを話されました。また、学生は病棟の中で看護師がどうしているのか、看護師同士のケアリング関係を見て考えて学ぶこともあり、患者との関係だけでケアリングを学ぶ事ではない、ということでした。
 そして、先生のご講義も終盤に入り、本セミナーの主題となる、―臨地実習指導を楽しむということ―について話が進んで行きました。指導者が学生と共に過ごすことを楽しむ要素として2つ示されたと思います。
1.共同的場におけるケアリング関係:学生と教員/指導者とのケアリング関係。学生や患者の人生(経験)に寄り添い、自らの人生を省みる
2.看護実践の楽しさを伝える:看護の世界に浸ることを支える、援助する
教員や指導者は、学生が何をしているか?何ができて何ができなかったのか? というような学生の行動の適否を問うのが実習指導ではなく、学生の考え(何を思い、何を感じていたのか?)を聴き、学生の情動が揺れ動くように発問することが必要だということです。そうすることはつまり、学生の心の動きとともに教育者の心も動くことになるのです。そして教師や指導者は自己内省します。その自分への問いは、学生が気づいたこと、学生の情動を学生自ら教員/指導者に言いたいと思っているのか?学生の変化に気づいているか? 気づいたことを学生に尋ねているのか?といったことです。自分とそして学生と向き合い看護学生の現実を理解 していくという関係性(これがケアリング関係なのでしょう)を楽しむということです。さらに、それはどんな場面でできるのか? おそらく、学習の場としてのカンファレンス(前川先生はカンファレンスをreflective conversationと説明してくださいました)で自由な雰囲気と真剣な話し合いができることであり、そこでの指導者の役割として、前川先生は、「今日のあなた(看護者)の看護を語っていくのです」と話されました。自らの看護を語ることを通して、臨床指導者/教員は、「看護は答えがない、正解ではなく最善を目指すということ、その曖昧さに耐えていくこと」、これが看護師の専門職性の特徴であり、学生がこのことを理解できるように支える存在なのだ、ということも話されました。そして、学生と患者と教員と指導者が繰り広げる実際の実習事例を多く紹介しながら現象を丁寧に紐解いて、指導者と学生のケアリング関係や学生の成長を説明していただきました。私は、先生の一言ひと言を聞き逃すまいと思うほど先生の言葉に引き込まれていきました。先生のお話を聴かせていただき、まだまだ学ぶことがあるのだろうと思いました。途中休憩をはさんで2時間半ほどでしたが、時間の短さを感じました。できれば、前川先生には実習教育に関するテーマで再度ご登壇いただきたいと強く願ったのは私だけではないでしょう!!ご講演が終了してからの質疑応答も活発に行われました。本当に豊かな時間を過ごすことができた研究会でした。